学校法人城西大学 欧州研究センター Josai Center for European Studies

国際学術文化振興センター(JICPAS)

ヨーロッパを学ぶ・楽しむ

「ブルゴ−ニュで会いましょう」

2016.12 久米五郎太

ブルゴ−ニュはフランス東部の地方(地方圏名は2016年よりブルゴ−ニュ・フランシュ・コンテ)。パリから南東へ、中心都市ディジョンまでは約300km,TVG新幹線で1時間40分である。ディジョン市は地域圏の首府、コート・ドール(黄金の丘)県の県都。近くにはケルト時代の鉄器文化の遺跡があり、長くローマの治世下にあったが、5世紀にはスカンデイナビアのゲルマン系のブルグランド族が移動してきた。ブルゴ−ニュのフランス語名はそこから生まれ、英語ではバーガンデイという。ディジョンには中世に栄えたブルゴ−ニュ公国の宮廷があり、ヴァロア家が統治した盛時、15世紀にはルクセンブルグ、オランダ、ベルギー、北フランス(リールなど)にまで版図を広げていた。

ディジョン市の中心は昔の宮廷前の半円形の美しい広場である。15年前から歩行者専用になり、さらに目抜きの通りへと長く、歩行者専用の通りがつづいている。この広場にはかつてルイ14世の馬上像があったが、フランス革命時に取り壊され、近くのル・クルーゾで大砲に改鋳された。第二次大戦で4年間ドイツの占領下にあったディジョンは1944年9月に解放され、広場の名前は武器広場から解放広場へと変わった。昔の宮廷の建物を使った美術館にはブルゴーニュ公であった剛胆王や善良王の墓があり、絵画や彫刻もオランダが多く、フランス、イタリア、さらにドイツ、スイスの作品が並んでいる。宗教画も多く、ブルゴーニュの人たちが誇る輝かしい過去と隣国に近い地理を感じる。

ブルゴーニュは中世のキリスト教信仰の高揚を主導した地方である。10世紀に建立されたクリュニー修道院はローマ教皇の直轄として、12世紀には傘下に1500もの修道院を持ち、絶大な権力と奢侈を誇った。それに対抗すべく簡素と清貧、労働と祈りを求めたシトー派の修道院運動が興り、荒野に修道院が建てられ、世界中に広がったのもこの地方からである。今でもロマネスク建築の教会が多数残り、ディジョンの西のヴェズレイは、昔からサンチャゴ・デ・コンポステーラに向かうひとつの巡礼路の起点でもある。

ブルゴーニュはフランス・ワインの二大産地のひとつとしても有名である。瓶はなで肩でどっしりし、ラベルには村や醸造所(ドメーヌ)の名が書かれている。ボルドーのワインは肩が張り、胴はまっすぐの瓶で、ラベルにシャトー(大きめの醸造所)の絵がかかれている。前者は地味だし、質実剛健といった感じがする一方、後者は貴族的である。デイジヨンから車で南に向かい、細い道に入ると、右手の斜面にブドウ畑が見えてくるワイン街道である。東を向き、日の当たっている丘はコート・ド・ヌイ(夜の丘)、そしてコート・ド・ボーヌ(ボーヌの丘)と続く。途中でシトー派の立てた迎賓館クロ・ドウ・ヴイージヨの城に立ちより、やがてボーヌの町で一休みする。そこまで40km、そこからさらに南にリヨン近くまで下ると新酒で有名なボジョレイ地域になる。

ブルゴーニュ地方のワインや文化の特徴はなんだろうか?渋谷で放映中の「ブルゴーニュでに会いましょう」は2015年製作のフランス映画。http://bourgogne-movie.com 現地のドメーヌ(畑と醸造所)でロケし、ワインづくりに携わる人たちの生活を描いている。ブルゴーニュ地方は当初は修道院が寄進された森を開墾し、大きな畑でブドウを栽培し、ワインを醸造、ルイ14世は特にブルゴーニュの赤ワインを愛した。しかし、フランス革命で教会の土地は没収され、売りに出され、その後も兄弟姉妹による分割相続で土地は細分化された。結果、一つあたりのドメーヌの規模は小さく、家族経営が多い

映画は、質が落ち、在庫が山積みとなり、倒産の瀬戸際にある家業の立て直しを父から託された息子のワインづくりの話である。父の行う栽培や醸造にソッポをむき、成人するとパリに出て、ワイン批評家として活躍していた息子だが、一年間だけのつもりで村に戻り、父の使用人とふたりでワインづくりを始め、町で店をやる妹もそれを見守る。彼は思い切って昔のやり方を採用し、殺虫剤を使わない有機農法を試みる。斜面の畑をトラクターでなく馬で鋤き、取り入れたブドウを人が足でふみつぶし、大きな木樽ではなく、アンフォーラで醸造をする。自然は厳しく、嵐がくれば、ビニール・シートで守ってもブドウの木は被害にあう。

見せ場は最も大事な収穫日の決断である。父親は引退して島に住むといってボートづくりに精を出し、すべてを息子に任せる。糖度や成熟度を町で検査してもらうが、たくさんの人を雇って行う取り入れをいつにするのか、息子は迷い、2度も当日の朝になって集まった労働者に延期を言い渡す。隣のドメーヌでは、娘がアメリカ人を連れて帰り、結婚式を挙げたが、その経営をする母親と合わない。そこではぶどうの取り入れをすでに終え、娘も国に戻った夫を追い、ふたたび渡米するつもりでいる。同じピノ・ノワールやシャルドネのぶどう畑で、隣あっていても、高度、日当たり、土壌、水はけなどが違えば、ぶどうの熟れ具合は異なる。遅くなると霜にやられる心配もある。彼女から自分の祖父が、昔ブドウを食べて、芯にタンニンの味を感じたときが取り入れの時期と言っていたと聞き、彼はブドウを口にし、ついに収穫の日を決める。

大忙しの収穫と仕込みの作業、そして新しい葡萄酒ができてくる。ラベルにはアロース・コルトンの村の名前がついいている。父親は実は孫から新しい葡萄酒を直前に飲まされていたが、なにも言わずに島に移って行く。ワインは好評であった。映画は次の年、息子がとり入れの日に、父がかつてそうしたように丁寧に摘むように労働者たちに声をかける場面で終わる。隣の畑には娘が一人で戻ってきた。二人の間には愛も生まれている。映画の原題は「Premiers Crus」、厳密に格付けされたブルゴーニュ地方の一級の畑と一級のワインを意味し、また初めてのワインという意味もこめられているのかもしれない。

ブルゴーニュ地方の一年はワインとともにある。中世にはホスピス(施療院)であったボーヌのオテル・ド・ドューは傾斜の大きなモザイク模様の屋根を持っている。今でも寄進された畑を持ち、11月第三日曜のそこでのワインの競りから毎年のワイン取引が開始する。ホスピスの外の市場ではソーセイジや衣服なども売られ、大いに賑わう。10世紀に建てられたクロ・ド・ヴイージヨの城は今ではワイン博物館になっているが、利き酒騎士団のデイナーが行われ、9月下旬には大規模なブックフェアも開かれ、人が集める。ドメーヌではぶどうの枝を切り、燃やし、根に土を盛り、冬を迎える準備が進む。雪の季節がくる。そして年が明け、枝の剪定が始まる。

フランスの心は農村や中世にあると言われる。ローマから受け入れ、中世から農村で作られてきたワインは、キリストの血であり、フランスの魂でもある。2015年7月には、デイジョン旧市街とブルゴーニュのワインづくりの風土(クリマ)がユネスコの世界文化遺産に登録された。デイジョン市には中世の歴史遺産があるだけではなく、数年前に新しくトラム(路面電車)を開通させ、町内から自動車を減らし、現代的な都市としても発展している。美食の都でもあり、ワインだけでなく、カシス(キールにする黒スグリのリキュール)、マスタード、カタツムリ、トリュフも特産だし、有機農業の店もある。牛肉の赤ワイン煮込み(ブフ・ブルギニョン)にはこの地の名前がつけられている。世界中から観光客が訪れ、パリとは異なる地方の生活を知り、ゆったりとツーリズムを楽しむ。

当学は2015年秋にブルゴーニュ大学(BU)と協力提携を開始した。大学はデイジョンのTVGの駅から歩ける距離にあり、トラムがキャンパスの横を通っている。秋学期からは先方の交換学生が城西国際大学に来ており、当方からの学生派遣も今後進んでいこう。ブルゴーニュ地方は歴史遺産を生かしつつ現代風に都市を変え、環境への配慮を高め、かつ自然を生かした地場産業を維持し、発展させている。観光、地域開発、文化、時間をかけ熟成するワインと人生など、ブルゴーニュ大学およびその中心のコート・ドール(黄金の丘)県から学ぶべきものは少なくない。


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