水田清子先生は、学校法人城西大学創立者で初代理事長・学長水田三喜男先生が逝去された1976年にその後を引き継いで理事長となり、2004年5月に退任、名誉理事長として相談役をつとめました。
それまで、戦後の第一回総選挙で衆議院議員となられた三喜男先生を1976年までの30年間、要職を務められた大臣の妻としてかけがえのない力で支え続け、その後、27年にわたる長い理事長職にあって創立者の意志を継ぎ、大学を発展させてこられました。
名誉理事長の第一の大きな事業は、1983年の城西大学女子短期大学部の開学でありました。これは、女性が社会と経済を支える重要な人材であることを期待される現代への先駆けでもありました。第二の大きな事業は、1992年に城西国際大学の開学です。グローバル基準による競争社会の到来を見越し、国際的な人材の育成、地域に貢献できる人材の育成を目指してのことです。どちらも先進的で社会の要請に応えた大きな仕事でありました。
学部学科の増設、大学院の設置、2002年には創立者水田三喜男先生の生家の修復・保存、2005年に東京紀尾井町キャンパス、2006年に水田三喜男出生地でもある鴨川にも新しく安房キャンパスを開設。文武両道を掲げ、クラブ活動の強化とともに大学施設を整備、各センターの設置など教育・研究面の充実を図り、海外姉妹校との提携推進による国際的なキャンパス作り、箱根駅伝につながるスポーツ分野での活躍ができる環境を整えました。
そして、理事長として大学経営と財政の健全性と安全性を実現し、現在の城西大学、城西国際大学の発展の基盤を作り上げました。
また、名誉理事長は、俳人としても高名で、俳人協会名誉会員でもありました。若きころより富安風生先生に指導を受け、その後、勝又一透先生、岡本眸先生に師事。城西国際大学では、東金俳句会において講師を長く務められました。1978年第一句集『白鳥』、1988年11月1日第二句集「高麗堤」、11月15日に第三句集「石蕗の花」、1997年第4句集「安房山」、2010年6月第5句集「九十九里」と全5冊の句集があります。
特に城西国際大学第一期生の卒業を詠んだ「夢あまた飛び翔つさまに花辛夷」はよく知られ、大学理事長としての人を育てる喜びが、校門の花辛夷に重ね合わせて詠みこまれています。
【水田清子先生句碑】
日枝神社(本庄市)
ひもろぎのあたり霞を濃くしたり 清子 1984年4月
城西大学の水田三喜男先生銅像脇に
さわやかに空にそびゆる欅かな 清子 1991年11月3日
城西短期大学棟の前に
石蕗の花遺業をまもり余生守り 清子 1994年5月26日
城西国際大学のピアノ池のほとりに
夢あまた飛び翔つさまに花辛夷 清子 1999年3月23日