学校法人 城西大学 Josai University Educational Corporation

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「ルーマニアと日本の交流シンポジウム」を開催しました

2017年11月11日、「ルーマニアと日本の交流シンポジウム」が東京紀尾井町キャンパス1号棟ホールで開かれました。ニコラエ・クセノポール初代外交特使(1858~1917年)の来日から100周年となったのを記念したもので、駐日ルーマニア大使館が主催し、学校法人城西大学中欧研究所と日本・ルーマニア協会が共催しました。会場では大使館関係者や協会関係者、市民の方々ら約100人が熱心に耳を傾けました。

クセノポール特使は、ルーマニアの政治家、外交官、経済学者、作家で、ブカレスト経済研究大学の創設者でもあります。1917(大正6)年10月、日本との外交関係樹立と公使館開設のため妻を伴って来日。大正天皇へのルーマニア公使の信任状俸呈と公使館開設を果たしましたが、12月に持病の腎臓病が悪化して亡くなりました。日本政府は同盟国の外交官に対して敬意を表して壮大な葬儀を執り行いました。


開会挨拶で、タチアナ・ヨシペル駐日ルーマニア大使は「クセノポールは外交官として母国に一命を捧げました。その努力、犠牲は決して無駄でありませんでした」と述べました。また、大使館は、このシンポジウムに合わせ、ルーマニア本国が所蔵するクセノポール特使に関係する外交文書の特別展示も行いました。続いて城西国際大学の杉林堅次学長が「日本とルーマニアはロシアを挟んだお隣さん同士で、遠くて近い関係。両国の歴史を振り返り、今後さらに交流が発展する良い機会になれば」と挨拶。日本・ルーマニア協会の猪谷晶子理事長も「すでにルーマニアが好きな方々はますますファンになっていただき、そうでない方々は、このシンポジウムでルーマニアに興味を持っていただきたい」と述べました。

シンポジウムでは、静岡県立大学大学院国際関係学研究科の六鹿茂夫教授が「日本―ルーマニア外交関係樹立交渉から見えてくるもの」と題して基調講演。この中で、六鹿氏は「1世紀前のルーマニアと日本との外交関係樹立交渉は、アジアと欧州の安全保障の連携を念頭に置いた外交の先駆けだった」と語りました。

この後、元ルーマニア大使の雨宮夏雄・愛媛大学客員教授が「日本・ルーマニア関係:友好へのかけ橋」をテーマに、またエッセイストで写真家のみやこうせい氏が「ルーマニアと私」をテーマにそれぞれ講演しました。雨宮氏は「ルーマニアは日本人にとって友人。一貫して友好関係にあった」として、東日本大震災の際に日本に寄せられた様々な支援を紹介。ルーマニアに魅せられて50年以上もかかわっているというみや氏は多くのエピソードを披露して「会った瞬間に兄弟になり、別れるときは涙。ルーマニアの人たちによって人間の素晴らしさを知った」と熱っぽく語りました。

モデレーターの城西大学中欧研究所副所長の柴宜弘・城西国際大学特任教授を交えた質疑応答では、クセノポール特使の来日が外務省ホームページに記述がないことについて、外務省の担当者は「日本側は全権公使としてではなく、特派使節として受け入れ、その後外交関係樹立の交渉に入る認識だった。交渉の文書を探しているが、見つかっていない。日本としても外交関係樹立の日時を特定したいので、ルーマニア側と協力していきたい」と答えました。

挨拶するタチアナ・ヨシペル大使

挨拶するタチアナ・ヨシペル大使

挨拶する杉林学長

挨拶する杉林学長


挨拶する猪谷氏

挨拶する猪谷氏

基調講演する六鹿氏

基調講演する六鹿氏


ディスカッション

ディスカッション

関係者による記念撮影

関係者による記念撮影

外交文書の特別展示

外交文書の特別展示


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