日本人は、明治時代における日本の近代化をごく当たり前のことと考えている。幕末のペリー来航を機として開国に転じ、それから明治維新が実現し、明治政府による文明開化政策の下で日本は近代国家になっていったという教科書的説明が何の疑いもなく受け入れられている。
しかしそれは決して当たり前のプロセスではなかった。何よりも、欧米諸国以外では19世紀のうちに近代化を達成しえた国は日本だけなのである。アジアの諸国は欧米列強の植民地に編入されつつあった。インドはイギリスの、インドネシアはオランダの、ヴェトナム・ラオスはフランスの、フィリピンはスペインついでアメリカの植民地となっていく。隣国の清朝中国はアヘン戦争そして第二次アヘン戦争(アロー号事件)を通して英仏軍によって首都北京が占領され、半植民地化の途を歩みつつあった。
そのような中で日本が独立を堅持し、資本主義的近代化を達成しえたのは何故であったか。その根源的な理由は明治国家にではなく、それに先立つ徳川日本社会の力量の中に求められなければならない。アジア諸国を制覇し植民地化する欧米列強に対して、徳川日本は何故にこれに対峙しうる力能を備えていたのであろうか。講義では、日本の国家的独立と近代化を実現し得た徳川日本の力能の性格とその形成の事情を探っていく。
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