学校法人城西大学 水田記念図書館 大石化石ギャラリー Oishi Fossils Gallery of Mizuta Memorial Museum・Josai University Educational Corporation

学校法人城西大学水田記念博物館大石化石ギャラリー

第3回:花と虫の物語

私たちが暮らす地球上の植物の中で最も成功しているのは、「花を咲かせる植物」(被子植物(ひししょくぶつ))です。現在の地球上に生きている植物の実に9割近くが花を咲かせる植物であるといわれています。この花を咲かせる植物は、白亜紀の前半(およそ1億2,500 万年前)に地球上に登場しました。この登場は、ほかの植物たちからだいぶ遅れをとっていました。ちなみに、マツ・スギ・イチョウ・ソテツなどのグループ(裸子植物(らししょくぶつ))はおよそ3億9,000万年前(デボン紀中ごろ)、シダなどのグループ(シダ植物)はおよそ4億年前(デボン紀の前半)には地球上に登場しています。

では、遅れて登場した花を咲かせる植物が、その前からいた植物をさしおいてダントツのNo.1になることができたのはなぜでしょうか?花を咲かせる植物が登場する前の三畳紀やジュラ紀は、裸子植物のグループが地球上で大繁栄していました。花を咲かせる植物は、強力な裸子植物にとってかわることができたわけですが、それができたのは花を咲かせる植物には強力な助けがあったからなのです。

さて、ここからは説明をわかりやすくするために、適切(てきせつ)かどうかはともかく、生き物を擬人化(ぎじんか)して(人に例えて)説明しましょう。ただ、生き物が意志をもって(「こうしよう」 と考えて)進化をしたということはまずありませんので、そこはあらかじめご理解くださいね。
 植物の世界でNo.1になるためには、ライバルたちよりも多くの子孫を残さなければなりません。それまでのNo.1であった裸子植物は、花粉を風にのせてメシベまで運び、種をつくっていました。このような方法を「風媒(ふうばい)」といいます。

風媒するスギ

風媒するスギ

春先にスギなどの裸子植物の花粉が風にのって大量に飛んできて私たちを苦しめますが、これこそ風媒の真っ最中なのです。 私たちにはあまりありがたくないイベントですが、植物たちは子孫を残そうとがんばっているわけです。この風媒という方法では、花粉がきちんとメシベまで運ばれるかは風まかせですので、無事にメシベにたどり着けない花粉もたくさん出てきてしまいます。 つまり、あまり効率(こうりつ)がいいとはいえないのです。
 一方、花を咲かせる植物の多くは、別の方法で子孫を残そうとしました。あてずっぽうで風まかせにするのではなく、助っ人に花粉をくっつけて確実にメシベまで運んでもらおうとたくらんだのです。そして選ばれた強力な助っ人こそ、虫(昆虫)たちでした。虫は3億年以上も前に地球上に現れており、白亜紀には現在の地球上で見られるほぼすべての虫の仲間がすでに登場していました。現在生きているものだけでも80万種以上が見つかっており、陸上のありとあらゆる場所に合わせて進化していることから、最も成功した陸上動物といってもよいでしょう。


被子植物の虫媒

この強力な助っ人に花粉を運んでもらうことで、花を咲かせる植物たちはライバルのセンパイたちよりも効率よく多くの子孫を残すことができました。花を咲かせる植物が選んだ方法を「虫媒(ちゅうばい)」といいますが、虫媒はとにかく風媒よりもずっと効率がいい方法でした。こうして、花を咲かせる植物は短い時間で急速に勢力を広げることに成功し、植物たちのNo.1 になることができたのです。このようにして勢力を広げた花を咲かせる植物たちは、ついには当時の陸の王者、恐竜たちの進化をもうながすようになるのですが、この話は第4回にとっておきたいと思います。
 水田記念博物館大石化石ギャラリーにも多くの虫の化石が展示されています。これらの虫たちは、およそ1億1,200万年前(白亜紀中ごろ)の湖のほとりで暮らしていたと考えられています。当時は、登場したてのルーキー、花を咲かせる植物たちが少しずつ勢力を広げはじめていたことでしょう。大石化石ギャラリーに展示されている虫たちも、フレッシュなルーキーたちに力を貸し、その後の出世につなげた立役者だったのかもしれませんね。


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